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終わりし闘いの標(しるべ)に

  5/14の風力発電所跡地視察をもって私たちの四年弱の闘いは終止符を打ちました。  本案件は、事業者である住友林業が近隣住民への健康被害発生の可能性を認め開発計画を中止、建設済みの発電施設については全撤去という幕切れとなりました。  私たち地域住民の全面的な勝利となりましたが、全ての点ですっきりと納得のいく終わり方をした訳ではありません。 1.環境アセスメントの基準について  本案件は出力が2MW機×4基の計8MWとなり、 環境影響評価法で定められた環境アセスメントが必要な基準の7.5MWを上回っています。だが事業者は機械的に出力制限を施すことによって出力を7.49MWに抑え法定環境アセスメントを逃れようとしていました。  しかし、事業者自身が後に認めたように本案件は近隣住民に健康被害をもたらす可能性のある物であり、私たちが建設反対運動を起こさなければ危険な施設が住宅のすぐそばにそのまま完成していました。 このような脱法的な手法を許容する環境影響評価法の存在意義に疑問を感じます。 2.自主アセスメントについて  事業者である住友林業は、法定アセスメントは行わないが、自主的な環境アセスメントを行うとして一般財団法人三重県環境保全事業団に各種調査を依頼しました。この調査結果は私たち地域住民へも提供されましたが、健康被害をもたらす危険性については一切言及されていませんでした。なぜこの時の調査結果では危険性が指摘されず、後に行われた一般財団法人日本気象協会による二回目の調査結果で初めて危険性が指摘されたのでしょう? 3.二回目の調査結果について  先に述べましたが、再度の環境音測定が一般財団法人日本気象協会によって行われ、その調査結果により地域住民に健康被害が発生する可能性があると指摘され開発計画は中止されました。事業者である住友林業に対し、一回目の調査と二回目の調査ではどの点で差異が出たのか、詳しい説明とデータの提供を求めましたが、いまだになされていません。 4. 県道補修  私たちの要求にもかかわらず、旧熊谷組作業事務所までの県道約 500 mが、トラックの往復によって亀裂や凹損などができたまま、今も補修されていません。住友林業は「我々が見たところ、痛んでいない。県から補修要請があれば対応する」といっています。県が県道利用者に補修要請をするとは考えられないのです。今後...

風車の跡地を確認してきました。

 本日、風車の跡地を確認してきました。  住友林業からの風車撤去工事完了の通知を受けて、地域住民の会4名が、本日13時から15時まで、住友林業担当者2名の案内で復旧工事完了の様子を現地確認しました。  写真を添付できると解りやすいのですが、写真撮影不可ですので、以下、ことばで説明します。  現地では、1~4号機すべてにおいて基礎コンクリートが地下5mの深さから掘り出され、破壊・搬出され、埋め戻されました(一部のみ工事写真で確認。破壊状況を示す工事写真のなかった風車については後日同社から写真呈示予定)。  復旧に当たっては自然の植生に戻すことが基本方針のようで、風車ヤードとして平地にされていた領域は、3・4号機については高さ2mほどマウンド状に盛土されて自然の山のようになり、1号機については逆に平地を作るためだった盛土が削られて元の斜面となっていました。  そして、その地面には、一面に2m間隔で杉の苗(20~30㎝)が植えられ、周囲には高さ2mのネットが張られて鹿の食害を防いでいました。この苗は3年もすると高さ2m程に成長するようで、3号機の傍の現在成育中の林地がそれを示していました。 国道165号線に近い変電所と鉄塔も撤去され、造成されていた敷地は崩されて林道から谷への斜面になっていました。  気になったのは工事用道路の法面です。小さな砂利を敷き詰めた風車工事用の道路は林業にも使うことからそのまま残されるとのことです。垂直に近い急角度で削られた法面は、一部に石垣(金網に栗石)もありますが、ほぼ全域で合成繊維のネットが張られています。計画どおりそのネットを通して草が生えていたのは傾斜の緩やかなごく一部で、多くは崩れやすい泥質片岩の面をネットの内側に収めたまま苔がついた状態であり、現に崩れている場所もありました。 今後土砂災害のないことを祈っています。 気になったのは工事用道路の法面です。小さな砂利を敷き詰めた風車工事用の道路は林業にも使うことからそのまま残されるとのことです。垂直に近い急角度で削られた法面は、一部に石垣(金網に栗石)もありますが、ほぼ全域で合成繊維のネットが張られています。計画どおりそのネットを通して草が生えていたのは傾斜の緩やかなごく一部で、多くは崩れやすい泥質片岩の面をネットの内側に収めたまま苔がついた状態であり、現に崩れている場所もありました。今...

最後の現地視察会が行われます。

  会員の皆様へ 先日より住友林業から「撤去工事完了のお知らせ」と題された書類が郵送にてお手元に届いているかと思います。 他地区においては、問題発覚後に発電施設を同業他社に転売するケースが見られる事もあり、今事案においては、事業者の主張通り発電施設が完全に撤去されている事を目視で確認する必要があると考えます。 その為、私たちは以前より住友林業に対し撤去工事完了後の現地視察を要求してきましたが、今回下記の日程で現地視察が実施される事となりました。 日時  2025年5月14日(水)  13 時〜 集合場所 住友林業三重風力発電所八対野工事入り口前 現地視察希望者は当日集合場所へお越しください。事前申請は無用です。 長きにわたる闘いの終止符となります。 ご都合の良い方は是非ご参加下さい。

山の上にクレーンだけが

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 風車の撤去工事は、9月26日の1号機ナセル上部取外しに始まり、強風のため遅れ気味ではありましたが、10月13日には1号機のタワー解体が終り、クレーン移動後の10月19日から23日まで2号機の解体が進められました。本日25日現在、山の上にはクレーンの頭だけが見える状況です。かなりの難工事だったと推測されますが、ここまで大きな事故もなく工程が進んだようです。 これらの工事の進捗状況を、着工前の状態から順次、一連の写真でお示しします。論より証拠。百聞は一見に如かず。 9月25日工事開始の予定でしたが、強風のため26日に順延されました。ハブ近くに作業員が立っています。その高さは地上約80mです。 天候が悪く、その後作業ができたのは9月29日でした。 ブレード抜き出しの動画(前回のブログ)も参照してください。ブレードは風を切る刃であると同時に付近住民の健康を切る刃でもあります。まさに、巨大な刃のような形にも見えます。 上の写真では、地上に降ろされたタワーのブロックが横倒しにされていく様子が見てとれます。 そして10月23日、全てのブロックが取り去られ、クレーンだけが残りました。

一号機撤去工事が始まりました。

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事前説明会の通り、9月25日午前より一号機本体の撤去工事が開始しました。 しかし、強風の為すぐに作業は中断されました。 翌26日も朝から作業が開始され、ナセル上部のカバーが撤去されました。 ところが、ここでトラブル発生。 何か機械の故障 の為、この日は故障箇所の修繕で終了しました。 続く27日28日は作業を進めようとするものの、強風の為休工。 作業開始から五日目の29日16時すぎ、やっと一枚目のブレードが撤去されました。 動画はその時の様子を撮影したものです。 翌30日は順調に作業が進み残り二枚のブレードが撤去されました。 この後週明け10月2日より ナセル撤去1~2日 タワー撤去5~10日 クレーン移動 10日 のスケジュールで作業が進むそうです。 撤去完了まで事故無く安全に作業を進めて頂きたいです。

風車解体…9月25日開始予定

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  風車2基の解体・撤去工事を 9 月 25 日(月)に開始すると、住友林業から電話連絡がありました。ただし、天候などで変更される可能性もあるとのことです。 風車解体に向けた仮設工事は既に始まっているようですが、社有林には入れませんので、何が行われているのかいないのか、私たちにはわかりません。また9月は解体のためのクレーンの設置が行われるはずですが、まだ外から見えるほどには組み上がっていません。でも期日までにはできるのでしょう。 そうしたら、 天候がよければ、 9 月 25 日には羽根を外す最初の工事が遠望できそうです。 国道 165 号線の青山峠から県道に入り(実はその県道は旧初瀬街道)、森を抜けて保健休養地内を走り、管理センターまであと少しの位置に見晴らしのよい場所があります。ここから見ると、手の届きそうなところに 2 基の大きな風車が立っていて、いまも伊勢湾の景観を分断しています。 11 月、風車の撤去後は当地自慢の美しい景観が戻ってくるのでしょう。そして、いま風の強い日は発生しているはずのタワーから生まれる超低周波音も、消えるのでしょう。 しかし…。全てが元に戻ったとしても…。 住民との合意形成もなく何ら工事中であることの表示もないままに風車建設を進めた事実、その責任、また音に関する環境を破壊しようとした(一部は既遂)姿勢、その責任。風車撤去まで続く景観破壊の責任。それらは事業取りやめと住民説明会や文書での謝罪によって、すべて阻却されるのでしょうか。クリアーとされるのでしょうか。2021年8月から心を痛めてきた私たちには、釈然としないのです。 工事中にトラックやダンプによって痛んだ道路は大部分修復されましたが、まだ一部は痛んだまま残っています。何かを象徴するかのようです。

公害の歴史の中で

   青山高原の住民である私たちは、自覚はないかもしれないが、 1 年半前から風車の被害を受けている。その私たちは、公害の歴史の流れの中で、いま、どこに立っているのだろうか。  ふりかえると、戦前は被害者救済まで至らなかったが、戦後は水俣病・新潟水俣病・イタイイタイ病・四日市の大気汚染、いずれもが、 a  企業周辺の住民に被害発生⇒ b  被害者が立ち上がり声をあげる⇒ c  加害企業は事業と住民の健康被害との因果関係を否定する、同時に関係官庁の対応の遅れも目立つ⇒ d  学者が因果関係を明らかにし、マスコミも問題を世に伝えて住民に加勢する⇒ e  住民による損害賠償請求訴訟の提起、首長の交替などの投票行動⇒ f  救済制度確立 という流れをたどっている。公害の種類はその後、カネミ油、薬害などに広がり、産業あるところ公害ありと言っても過言ではなくなった。そして、新潟水俣病判決(新潟地判昭和四六年九月二九日)にいう公害の特質(*)に顧みれば、風力発電による騒音被害(低周波を含む)もまた公害にほかならないといえる。  いま、明らかに風車の騒音による健康被害と思われるものがあるが、官・企業こぞって風車との因果関係を否定している。上記cの段階だ。正確に言えば「風車の運転と健康被害の関係を示すデータはない」とされている。実態はどうかと調べてみたら、そういう研究がないだけだった。国策を阻む研究に国が予算をつけることもないし、そういう研究者に与えられるポストもないだろう。研究すれば解るのに研究していないから、「データはない」のも当然だ。  戦後の公害の歴史に倣えば、いずれ因果関係も明らかになるのだろうが、少数の弱者を犠牲にして国策が進められていく構造は、現在の風力発電においても足尾鉱毒事件の昔から変わっておらず、痛ましい。その構造を保存する御用学者に良心はないのだろうか。  戦後の公害事件において加害企業や官庁の理不尽さを打ち破るのは住民のパワーだった。しかし、時代は変わってもいいのではないか。風車を建てようとする場所は僻地である。そこでは反対住民は強大な組織を作りがたい。少数の弱者が泣き寝入りするよりも、企業自身(住民の福祉向上を図るべき地方公共団体が風力発電事業を進めている場合もあり、この場合は当該地方公共団体自身)が、あらかじめ事業の危険性を...