公害の歴史の中で

  青山高原の住民である私たちは、自覚はないかもしれないが、1年半前から風車の被害を受けている。その私たちは、公害の歴史の流れの中で、いま、どこに立っているのだろうか。

 ふりかえると、戦前は被害者救済まで至らなかったが、戦後は水俣病・新潟水俣病・イタイイタイ病・四日市の大気汚染、いずれもが、
a 
企業周辺の住民に被害発生⇒
b 
被害者が立ち上がり声をあげる⇒
c 
加害企業は事業と住民の健康被害との因果関係を否定する、同時に関係官庁の対応の遅れも目立つ⇒
d 
学者が因果関係を明らかにし、マスコミも問題を世に伝えて住民に加勢する⇒
e 
住民による損害賠償請求訴訟の提起、首長の交替などの投票行動⇒
f 
救済制度確立
という流れをたどっている。公害の種類はその後、カネミ油、薬害などに広がり、産業あるところ公害ありと言っても過言ではなくなった。そして、新潟水俣病判決(新潟地判昭和四六年九月二九日)にいう公害の特質(*)に顧みれば、風力発電による騒音被害(低周波を含む)もまた公害にほかならないといえる。

 いま、明らかに風車の騒音による健康被害と思われるものがあるが、官・企業こぞって風車との因果関係を否定している。上記cの段階だ。正確に言えば「風車の運転と健康被害の関係を示すデータはない」とされている。実態はどうかと調べてみたら、そういう研究がないだけだった。国策を阻む研究に国が予算をつけることもないし、そういう研究者に与えられるポストもないだろう。研究すれば解るのに研究していないから、「データはない」のも当然だ。
 戦後の公害の歴史に倣えば、いずれ因果関係も明らかになるのだろうが、少数の弱者を犠牲にして国策が進められていく構造は、現在の風力発電においても足尾鉱毒事件の昔から変わっておらず、痛ましい。その構造を保存する御用学者に良心はないのだろうか。

 戦後の公害事件において加害企業や官庁の理不尽さを打ち破るのは住民のパワーだった。しかし、時代は変わってもいいのではないか。風車を建てようとする場所は僻地である。そこでは反対住民は強大な組織を作りがたい。少数の弱者が泣き寝入りするよりも、企業自身(住民の福祉向上を図るべき地方公共団体が風力発電事業を進めている場合もあり、この場合は当該地方公共団体自身)が、あらかじめ事業の危険性を吟味し、何らかの危険性またはそのおそれがあれば事前にこれを避け、近隣住民との共存共栄を図る方が、経済的でもあるし賢い道ではないか。
 住友林業三重風力発電事業の取り止めが、歴史のターニングポイントになることを望みたい。

新潟水俣病判決(新潟地判昭和四六年九月二九日)にいう公害の特質
①被害者が加害者の立場になり得ないこと②付近住民にとって不可避的な被害③不特定多数に相当広範囲の被害④付近住民らは等しく被害を蒙る⑤原因となる加害行為は企業の生産活動の過程で生じるものであり企業には利益が生じるが被害者には何も利益は存しない。

 

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