風車と共生?(1)

 

公開質問状の回答が、きちんと届いた。前回のブログで質問と回答を対比したので、それをお読み戴いてそれぞれに感じて戴ければよいのだが、私も思うところ多々あり、ここに書き留める。

 ①②を読んで、まず、驚いた。え?! 風力発電施設と共生? 
「共生」の主語は何なのか。風力発電そのものか。では、政策担当者に尋ねたい。あなたは風車と共生できるのか。毎日24時間、耳に聞こえる騒音と耳に聞こえない超低周波の影響を受け、睡眠障害、頭痛、吐き気に悩まされる毎日が続く事を、あなたは受け入れられるのか。風車を遠くから眺めるだけでその恐ろしい実態を知らないからこそ言える言葉だ。なるほど、国のエネルギー政策のあれこれを見ると、「地域共生型再生可能エネルギー」という言葉がでてくる。しかしそこに顔を出すのは地熱発電や太陽光発電であり、風力発電は見受けられない。その悪魔は本来的に、また青山高原北部の風力発電業者が付近住民に何をしているか・・・超低周波音は壁を貫通するのに二重窓を設置したりエアコンを付けたりの対応・・・を見ても、人間とは共生不可能なシロモノなのである。風車の実態に対する基本的認識に誤りがある。
 後段に明確に書かれているように「共生」の主語は発電事業者だとしたら、行政担当者に尋ねたい。風車は、コミュニケーションを図ったとしても不安が消えるものではないのだが、FIT認定の計画段階から地元を無視し続ける業者を、資源エネルギー庁の言うような「発電施設が設置される地域との信頼関係を築き、地域とともに生きていくよう努める」との哲学を体現すべく指導するのは誰なのだろうか。国か、県か、市か。適切な指導もないままに売電事業者に生活を破壊される住民は、泣き寝入りしろと言うのか。弱い立場の被害者を公権力は放置するのか。

③風車に関し「価値観の相違」とある。
 なるほど、多くのモノには二面性がある。原子力だって利器ともなり凶器ともなる。風力発電の推進・阻止、その両派は一見するとそれぞれの一側面のみを見た行動と見える。だが違うのだ。風力発電には、そういう二面性はない。よくよく見ればデメリットだらけなのだ。強いて旨味を挙げれば、売電事業者にとっての利潤だろう。しかしその一方にある地域住民の健康や平穏な生活を破壊することを、「価値観の相違」として対極に置けるものだろうか。経済的価値と人の健康は、比較衡量できるものではない。次元が違う。
 もし比較衡量できるとしたら、ここでもそのバランス調整をするのは行政の役割だ。業者任せではだめだ。業者は自分の損になることはしない。業者ではなく行政のリーダーシップが必要だ。そのような行政指導の法的根拠は国の場合は設置法に求められる。或いは、法的根拠はなくてもよいとの見解もある。地方自治体が行政指導を行うことに何の問題もない。(続く)

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